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2025.11.10

高校生からのインタビューを受けて思ったこと

先週、ある神戸市内の高校生から学内コンテストの課題の取材として、「命の価値について」というテーマでインタビューを受けました。

 

どうして交通事故などで亡くなった方の賠償額が、年齢、収入、家族構成などによって違いが出るのか(2千数百万~数億円まで差が出ます)、人の命の価値は等しいはずではないかというのがその内容でした。

 

一瞬ドキリとする質問で、なかなか簡単に答えられる問題ではないのですが、民事裁判制度の成り立ちや保険制度の目的などに話しを広げ、四苦八苦しながら、なんとか説明しました。

 

その詳しい中身は高校生のコンテストが終わってからでもまた書かせてもらいますが、私が、その高校生と話しをしているなかで感じたことがあり、今日のコラムに書かせてもらいます。

 

それは、今の若い人たちは、結局世の中というものは不公平に出来ていて、親の職業や収入で自分たちの進路も大きく変わり、命の価値についても、収入によって格差があるのではないかという疑問を抱いているということでした。

 

私が高校生だった1980年代の日本は、まだ一億総中流(日本人は全員上流でも下流でもなく、中流だという意味)と呼ばれる社会が残っていました。学校のクラス(奈良の公立高校でした)の中で、もちろん一定の格差はあったかもしれないですが、はっきり目に見える差というものはありませんでした。

 

私がほぼ生まれた時期に始まったマンガ「ドラえもん」の世界を思い出せば、スネ夫だけがセレブな生活を送っていましたが、のび太やしずかちゃん(サラリーマン家庭)、ジャイアン(個人商店の家庭)などは特に差は描かれておらず、スネ夫の描き方も、お金持ちであるがゆえの「変った人」として描かれていました。スネ夫はどこか気の毒な感じでした。これが当時の(私を含めた)庶民の持つ感覚であり、命の価値の格差などを疑問に思うことはありませんでした。

 

現在はもっとはっきりと格差が表れ、進路選択の場面でも親の収入によって違いが生じてくる時代になっています。たとえ同じクラスに親友がいて、学力が同じレベルで、同じ夢を抱いていたとしても、その親友と同じ進路選択ができるとは限りません。前提条件が違う世界に子供たちは置かれてしまっているわけです。

 

私が「親ガチャ」という言葉を最初聞いたとき、少しびっくりしましたが、現実に今の子供たちが置かれている状況を考えれば、それはあながち的外れな表現ではないのかもしれません。

 

このたび、高校生からインタビューを受けるというとっても貴重な機会を頂きましたが、私にとってそんな辛い日本の原状を垣間見る時間となりました。八木和也

 

 

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