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2025.09.21

失われた30年について思うこと

私はちょうど30年前に社会人1年目を迎えた。初めて私が社会を身をもって知った年なので、その時の雰囲気は今でもよく覚えている。

 

1995年は、円高がどんどん進んで一ドルが70円代まで振れた年だった。1円に相当するアメリカ通貨は1セントだから(1ドルに相当する円が100円)、単純計算すれば、円がドルに比べて約1.25倍の値打ちがあるとされた時代だった。

例えばマクドナルドのビックマックであれば、日本だと当時390円したが、アメリカだと195円で買えた。長期休暇があれば、海外に行くのは当たり前で、海外に行ってブランド品を安く買ってくるというのが流行りだった。

ところが2025年現在では、日本でビックマックは480円だが、アメリカでは857円だそうだ。30年前と比べて、円の値打ちは半分以下になった。海外旅行も高嶺の花になった。

なによりも、日本は食料やエネルギーの多くを海外からの輸入に頼っているのだから、これだけ安くなった円をはたいて購入しなければならなくなった以上、国民が物価高に苦しむのは当たり前だ。

現在の政治テーマは物価高対策だそうだが、日本が経済大国だった時代に積み上げた貯蓄や、未来からの借金でもってその補填をするということだけで問題が片付くとは到底思えない。

どうしてここまで日本が競争力を失い、円が弱くなり、没落へと向かったのかの原因を探求することなしに、日本の未来はないことはもはやはっきりしているのだ。

自民党の総裁選がまた始まったそうだが、日本の弱体化についての原因を考察するような議論がまったくないのは私に言わせれば謎である。

このまま原因の考察から逃げ、先送りにしていけば、なんとか貯蓄を切り崩して自分たちの世代は逃げ切れると思っているとしか思えない。

今こそ、日本の強みが物づくりにあったこと、そのことを蔑ろ(ないがしろ)にしたからこそ30年が失われたこと、日本の物づくりの技術をいかにして復活し、次世代へと継承するかを考えるために知恵を出し合うこと、このことが政治の最大のテーマであることを共有すべきである。それが未来への責任を担う大人たちの義務である。八木和也

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