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2025.08.31

世間の新聞離れについて思うこと

 通勤電車内で新聞を読んでいる人をみかけなくなって久しい。最寄り駅のコーヒースタンドも数年前に新聞販売を止めてしまった。近所のコンビニでも、わずかの部数しか仕入れておらず、少し出勤時間が遅くなれば売り切れとなってしまう。
 
人々がどんどん新聞を読まなくなり、販売所も減少していき、ますます人々が新聞から遠ざかっていく悪循環が増している気がする。

 たしかに新聞の記事は、どうしてその記事が一面トップ記事なのかと疑問に思うことも多い。例えば、現在では新車を購入しても、実際に車が届くまでに半年~1年というとんでもない期間、待たされることになる。半導体不足などが原因らしいが、一昔前なら考えられない。が、私はこの点に関する詳しい記事を見たことがない。他方で、石破おろしへ向けた自民党内の動きなどが刻々と、詳細に報道されている。

 などと新聞を批判すればきりがないのだが、それでも私は新聞を定期購読しているし、通勤中はどうしても読まねばならない資料などがない限り、必ず紙の新聞を読むようにしている。
 スマホでの情報収集では、AIに自分の関心事項を把握されてしまっており、流れてくるニュースも偏りが出てしまう(ちなみに私のスマホは阪神タイガースに関するかなりマニアックなニュースまで確実に配信されてくる)。新聞は、そうした絞り込みが全くない。新聞のもっとも大きな効用がここにあり、朝の通勤時間に新聞を読むと決めてしまえば、自分がまったく想像しなかった分野についての情報までもが自然に入ってくるのだ。

 先日も、新聞での人生相談で60代の女性が自分の子供たちが子を持たないと決めてしまったので、孫のない人生が確定したが、そのことがなかなか受け入れられないとの相談を読み、人生の奥深さを学んだ。
 
「早く、孫の顔がみたいから、頑張ってね」などと言えた時代は遠い昔で、子供からそう言い渡されたら何も言えないのが現代なわけだが、それは親としてはなかなか苦しいものなのかもしれない、などと想像した。

 たしかに、自分の関心分野についての情報を集め、その分野についてどんどん詳しくなっていくのも必要だし、また楽しいことなのだとは思う。けれど、それだけでは人生を豊かに生きることは難しい。
 人はそれぞれ全く別の世界を生きている。なので、世代や性別、職業が全く違う人と交流することは簡単なことではない。けれど新聞をずっと読んでいれば、会話の糸口くらいはみつけられることが多い。いわば新聞は別の世界に住む人々の心へと通じる窓の役割を果たしてくれるのである。

 人はそうやって自分の世界を広げ、そこから自分が今集中しているものの新たな視点を獲得し、バージョンアップしていくものなのだ。だから新聞を定期的に読むことは、とても大切なことだと思う。八木和也

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