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交通事故に遭った時、起こした時。

弁護士 八田直子

1 事故の証明がない、相手の連絡先が分からない
交通事故に遭った時、中には、怪我は大したことないし加害者からも警察には言わないで欲しいと頼まれたことから、警察に届けなかった・病院に行かなかった、という方がおられます。しかし、交通事故時の怪我は、思っていたよりも悪化することはよくある話です。また、事故時には親切な態度をとっていた相手が、事故後に連絡がつかなくなったり、そもそも事故などなかったと言ってくる可能性もないとはいえません。

したがって、交通事故が起こった時には、必ず警察に届け、速やかに病院に行き診断書を作成してもらいましょう。

事故時に警察に届けておくと、後に交通事故証明書というものを入手することができます。ここには、事故発生日時や場所のほか、相手方の氏名や住所も記載されるため、後に事故がなかったとか相手と連絡が取れないという不都合から逃れることができます。さらに、診断書をとっておくことで、交通事故の発生の証明や事故時の怪我の状態の証明ができます。

2 保険会社から金額を提示されたが相場が分からない
事故後、加害者加入の保険会社と話合いをし示談をするという方が多いと思います。しかし、いざ、保険会社から金額を提示されても、その金額が高いのか安いのかが判断できないという方が殆どではないでしょうか。一般的に、被害者の方が受け取ることのできる金額の項目としては、治療費、休業損害、物損、入通院慰謝料、後遺症慰謝料、後遺症による逸失利益(後遺症が残ったために失った、将来得られるはずだった利益)などがあります。また、不幸にも被害者が死亡された場合には、死亡慰謝料や葬儀費用、死亡による逸失利益というものがあります。

怪我の状態等によって、具体的金額は大きく異なりますが、保険会社からの提示額が必ずしも適正・妥当と言えないことは多々あります。したがって、金額の増加が見込めるのか、お気軽にご相談頂けたらと思います。

3 弁護士特約の有効利用
最近では、自分の自動車保険に弁護士特約という特約を付けている方も増えています。この特約を付けていると、示談交渉や訴訟に要する弁護士費用を300万円を限度として負担してくれます。また、弁護士の選択は自由で保険会社からの弁護士でなければならないということはないのが一般的です。したがって、この特約を付けている際には、この特約を用いて、一度相談に来て頂ければと思います。

2013年

B級グルメ日帰り旅行

弁護士 野上真由美

ある日,夫の思いつきでB級グルメ旅をすることになり,レンタカーで日帰りできる岡山県を目指した。中国自動車道を走り,まずは津山市で「ホルモンうどん」を食す。牛のホルモンが入った焼うどんだが,タレが濃厚でホルモンとうどんによくからんで箸が止まらない。食後は腹ごなしのために津山城跡に向かう。ちょうど紅葉の季節でとても美しかった。決して団子ばかりではないのだ。

次は,「カキオコ」を目指し,蒜山(ひるぜん)の飲むヨーグルトを片手に日生(ひなせ)へ。選んだ店では,お好み焼きの上にカキがギッシリ敷き詰められ,半分はソース半分は岩塩でいただく。岩塩だとアッサリしてカキの味も引き立ちおススメである。ビールを横目に完食。B級グルメ旅最高!とハッピーな気持ちで帰宅の途についたが,この後予想外のハプニングが発生した。ここで残念,字数制限が。この旅のオチは相談か打ち合わせの時にでも(気が向いたら期待せずに)聞いてくださいませ。本年もよろしくお願い申し上げます。

2013年

ごあいさつ

弁護士 八木和也

皆様、はじめまして。昨年の11月から中神戸法律事務所にてお世話になっております、弁護士の八木と申します。2005年10月に弁護士登録しました。出身は奈良ですが大学時代は神戸で下宿をしており、結婚後もずっと神戸に住んでおります。港情緒溢れる神戸の街が大好きです。

大学では経済や金融を少しだけ勉強し、卒業後は銀行員をやっていました。銀行員を始めてすぐに定められたマニュアルに従うことができない自分は銀行員には全く向かないことを確信し、2年で退職しました。次の職を探すにあたり、私の周囲には司法試験を勉強している人など皆無で、親族に法曹関係者は一人もいませんでした。が、実家の向かいに弁護士が住んでいましたので、私はその人に弁護士とはどんな仕事か教えて欲しいと尋ねると「毎日、世のため人のためになっていることを実感できる素晴らしい仕事だ」と教えてくれました。私はだったらそれを目指そうと思い、法律を一から勉強し、紆余曲折がありましたが、2003年になんとか合格を果たし、2005年に弁護士になりました。

登録してからは7年間、尼崎にある法律事務所で弁護士をしていました。私が携わった事件は、アスベストなど社会が注目する大きな事件もありましたが、その大半は借金、離婚、相続、交通事故、成年後見、解雇、借地借家、刑事事件など市民が直面する身近な法律問題でした。私はその中でたくさんのことを学ばせてもらいましたが、今私が一番大事にしていることは、市民の方々への「気持ちへの共感」です。人は、重大な問題に直面したとき、他人から「気持への共感」をしてもらえれば、気持ちが軽くなり、問題に対して前向きになることができます。相談に来られる市民の方々が弁護士に一番求めていることは、この役割なのではないかと今は思っています。

今後、より一層の精進を続けていく所存ですが、より多くの市民の方々に対して「気持ちへの共感」を抱けるように、常に社会が抱える問題に関心を持ち続け、教養を磨き、人格の陶冶に励みたいと考えています。どうぞご指導ご鞭撻のほど、心よりお願い申し上げます。

2013年

悲劇を分けたもの ―三陸大津波―

弁護士  野田底吾

昨年10月末、私は友人と東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた三陸海岸を2日間、車で走った。どこへ行っても、家ごと津波に流されコンクリート基礎だけが残る異様な光景が延々と続く中、夥しい数のダンプが廃材や瓦礫を満載し、埃を巻き上げて走り廻っていた。そんな中で強く印象に残ったのは、全ての地区にある小学校の被災状況である。

3月11日午後2時46分の地震発生時、どこの小学校も卒業式の準備や学期末の授業が終了する直前で、殆どの生徒が未だ校舎内に残っていた。

新北上川の河口に位置する石巻市立大川小学校では、地震直後、校内に残っていた児童77人を校庭に整列待機させ、全教師12人が避難先を巡って協議に入っていた。これに時間を費やし、避難開始まで30分を要した為、津波の直撃を受け、児童74人、教員10人が死亡した(詳細は兵庫民法協HPのニュース533号≪忘れるな津波てんでんこ≫参照)。一方、釜石市では小学生1927人、中学生999人の殆どが校内に残っていたが、一人の犠牲者も出していない(「釜石の奇跡」と言われる)。特に鵜住居小学校では、教師の「すぐ走って逃げろ」の叫びと同時に、児童360人が一斉に高台の避難予定地まで600m走り、更に津波が迫って来た為、予備避難所まで400m走り全員助かっている。また南三陸町の戸倉小学校では、児童91人が裏山の神社まで300mを駆け上がり全員助かっている。この様に悲劇を分けたのは何だったのだろう?

リアス式海岸の三陸地方では、過去、幾度となく大津波により大量の犠牲者を出してきた(吉村昭「三陸沿岸大津波」中公文庫)。それ故、「高き住居は児孫の和楽、想え惨禍の大津波、此処より下に家建てるな」等と刻んだ津波記念碑が各地に点々と200基も建てられている。それでも世代交代や頑強な防波堤の完成で、次第に避難意識が薄れ、今回の大災害を再来させてしまった(災害は忘れた頃に・・)。釜石市は、こうした状況に危機感を抱き、3年程前から「手引書」を作り、全住民が一定期間必ず属する事になる小中学校のカリキュラムに津波防災教育を組込み、毎年、避難訓練を行ってきた。その教育内容は「津波てんでんこ」の実践、即ち、「大きな揺れを感じたら何はともあれ一人で高台まで走って逃げろ」と言うに尽きる。勿論、予め避難経路と避難場所は整備されており、各家庭にも「安否札」が配布され、誰が何処へ避難したのか記入して玄関先に吊す事になっている。それでも、内陸出身の教員が年々増えている為、教職員に対する防災教育と訓練は、毎年、熱心に行われている。所が大川小学校では、殆どの教員が内陸出身者で十分な防災訓練も受けておらず、避難先さえ特定されていなかった。しかも当日、児童に集団行動さえ強いている。この差こそが悲劇を分けた原因なのではないだろうか。

今、東南海地震が予測される中、私達の地元でも、小中学校での日常的防災教育と訓練が早々に実施されるよう、教育委員会の意識改革が求められている。