取扱事件

「証拠隠し」を許さない

弁護士 西田雅年

1 えん罪事件に共通するのは「証拠隠し」
昨年東電OL殺人事件でネパール人の男性に再審無罪判決が出ました。一審の東京地裁では無罪でしたが、東京高裁で逆転で有罪とされ、上告も棄却され、無期懲役が確定していました。しかし、当時から保管していた証拠から、改めてDNAの鑑定をしたところ、全くの別人だと分かり、再審請求をして、有罪判決が覆ったのです(事件発生後15年経過)。しかも、当時からネパール人男性とは違う血液型が被害者の体から発見されていたのに、裁判に証拠として提出していなかったということも分かりました。検察官が、裁判当初から証拠を握っていたのに、裁判で提出しなかったので、有罪とされてしまったのです。

誤った罪裁判に共通しているのは、検察官による「証拠隠し」です。まず刑事事件が発生すると、警察官は事件に関するあらゆる証拠を集めます。検察官は、これらの証拠の中から、有罪の証拠を裁判所に提出して、有罪だと主張します。通常の刑事事件の場合には、被疑者・被告人が事件について認めていたり、決定的な証拠(目撃者とか、指紋とか)があったりしますので、あまり問題になりません。しかし、被疑者が否認して、決定的な証拠が無かったような場合には、どうでしょうか。事実を明らかにするためには、被疑者に有利な証拠を含めて全ての証拠を裁判所に提出しなければ、裁判所は誤った判断します。

そもそも刑事事件で集められる証拠は、私たちが納めた税金が使われているのですから「公共財」です。従って、検察官が恣意的に独占することはできません。税金は納税者や市民のために使われるものですから、税金で集めた証拠は常に利用され、オープンにされるべき性格のものです。そこで、被疑者や被告人が求めた場合には、提出されるべきです。

しかも、検察官や警察官は、有罪とする自信があるから起訴して裁判を求めています。ですから証拠を隠さず、全てオープンにして正々堂々と闘うべきです。

2 「名張毒ぶどう酒事件」の再審無罪に向けて
私が弁護士になってから今も担当している事件は、「名張毒ぶどう酒事件」だけです。この事件は、1961年(昭和36年)に三重県名張市で発生した、農薬中毒で5人の方が亡くなるという悲惨な事件です。犯人として逮捕された奥西勝さんは、一審で無罪とされたものの、名古屋高裁で逆転で死刑判決を受け、獄中から再審の請求をしています。一度は再審の開始が認められたのですが、昨年5月に名古屋高裁で、再審を認めないという決定が下され、現在最高裁に係属しています。

この事件でも、検察官による証拠隠しが行われています。弁護団としては全ての証拠を明らかにせよ、という主張を繰り返していますが、未だ多くの証拠が出されていません。死刑囚の奥西さんは85才となりましたが、現在は体調を崩して医療刑務所に移監されています。
奥西さんを生きて救出するためにも、またこれから発生するであろうえん罪事件を作り出さないためにも、これからも「証拠隠し」の問題を訴え続けていきます。

2013

尼崎アスベスト訴訟で勝訴判決

弁護士 本上博丈

1.尼崎アスベスト訴訟は、発ガン性の強いアスベスト(石綿)を尼崎市内の旧神崎工場近隣にまき散らしたクボタの排出責任と、そのような排出を規制しなかった国の不作為責任を追及する裁判です。原告は、たまたま同工場近隣で居住、勤務、買い物などをしていた際にアスベストを吸引して胸膜中皮腫という不治のガンにかかって死亡した被害者2名の遺族です。

昨年8月7日の神戸地裁判決は、両被害者についての国の責任及び同工場の1km余りで居住し約300mで毎日のように買い物をしていた被害者についてのクボタの責任は認めませんでしたが、同工場の南200mで勤務していた被害者についてクボタの加害責任を認めて約3200万円の損害賠償を命じました。アスベストによる公害があったこと、そしてその企業責任を認めた我が国初めての判決です。

当事務所では、八木が弁護団事務局長を務めているほか、萩田、野上、八田、本上の計5名が原告弁護団の中心メンバーとして活動しています。

2.アスベストは耐火性や抗張力に優れ加工もしやすいことから奇跡の鉱物と呼ばれて、水道管、建材、保温材、ブレーキライニング、耐火材など様々な用途に使われてきました。しかし、アスベストを扱う労働者の職業病として、戦前から石綿肺が、戦後間もなくには肺がんや中皮腫が知られるようになりました。さらに1960年ころからは取り扱う労働者本人だけでなく、その家族や工場等の近隣住民にまで中皮腫が起こることが世界的に報告されるようになり、1972(昭和47)年にはWHO(世界保健機関)が設立したIARC(国際ガン研究機関)がアスベスト工場の近隣では「中皮腫と大気汚染の関連性を示すデータが得られている」と報告していました。

しかしクボタは1975年まで特に毒性が強い青石綿の大量使用を続け、国がアスベストによる近隣公害に対する規制を始めたのは1989(平成1)年という遅きに失したものでした。

3.大気中に浮遊する石綿繊維は太さが髪の毛の100分の1程度で、通常は人の目には見えません。人は工場近隣で呼吸をする度に知らないうちに石綿粉じんを吸引してしまい、20〜50年という長い潜伏期間を経て、突然、不治のガンである中皮腫に襲われます。言うまでもなく呼吸をしないわけにはいきませんから、工場からの石綿粉じんの飛散がある限り、人はそれを吸引してガンになることを避けられません。

クボタの同工場関係では、労働者で156名が石綿疾病で労災認定を受け(2011年9月30日現在)、近隣住民の232名は石綿によるガンになり、クボタが道義的責任に基づくという救済金の支払いを受けています(2012年3月31日現在)。このような同工場の被害者数は、世界的にも突出した多人数です。

4.大変長い潜伏期間があり、我が国で石綿の大量使用が始まったのは戦後だったことから、日本での石綿によるガン患者が報告されるのは1980年ころ以降であり、ましてや近隣ばく露によるガン患者の報告は2000年以降でした。

しかし、長い潜伏期間は1970年ころまでには分かっていたことなので、日本で実際に患者が発生してから規制したのでは、その規制までの間に日々潜在的被害者が増え続けることは容易に想像できます。ところが国は、この容易にできる想像をせず、アスベストの便利さを優先し、患者がまだ発生していないことを言い訳にして、なすべき規制を20年近く遅らせました。判決が国の責任を認めなかったのは、この言い訳を是としたからです。住民が自力ではおよそ避けられない公害被害なのに、国は数十年先のその被害発生を予測できるのにその予測をきちんとしなくてもよいし、規制もしなくてよいというのが判決です。石綿による肺ガンと中皮腫が最近の政府予測で10万人にも及ぶということが分かっていてもです。

5.ここまで読んでいただくと、国の原発政策と全く同じであることが分かると思います。また国が言う安全対策を非科学的に信用して、原発を許容し続けてきた裁判所も全く同じです。

尼崎アスベスト訴訟は原告らとクボタが控訴して、大阪高裁に舞台は移りました。この訴訟を通じて、企業や国が、この国に住む人たちの生命と健康を守るということはどういうことなのか、その責任をどうしたら果たさせることができるのかを改めて問いかけ、人のための政府、裁判所に変えていく一歩にしたいと考えています。是非、ご注目下さい。

2013